品川第二地域ニュース NO.81より
海雲寺境内の荒神堂に千躰荒神がと祀られている。この千躰荒神は昔芝二本榎の佐賀藩下屋敷に祀られていたが、藩主鍋島家が戦勝祈願成就を感謝し、ゆかりの海雲寺境内に祀ったという。 江戸時代、南品川宿は「薩摩火事」(前号掲載)など大火に幾度となく見舞われたが、火災はいつもこの付近で止まったため、災難除けの神として人々に「品川の荒神さん」と親しまれていた。近年でも、関東大震災や空襲でも南品川が焼けなかったのは「荒神さん」のお陰だといわれている。
荒神様は 竃 の神様としても信仰されていた。毎年三月と十一月の二十七日・二十八日にある祭礼では、今は見かけなくなったが、かっては台所にあるお宮を風呂敷に包み首に結び付けて、お参りする姿があった。お参りをして、お宮を護摩の炎で清めてもらい同じ格好で帰るのだが、帰り道は寄り道したり包みを下に置いたりしてはいけないというしきたりがあった。品川宿には貸し座敷が多く、参詣のの男たちは帰りに寄って一晩中遊んで帰って来なかったので、すぐに帰って来させるための便法だったのではとも言われていた。そのため品川宿では、荒神祭りの日は客が素通りして商売にならなかったため「貧乏荒神」とも称されていた。 今年は三の酉まであった。三の酉まである年は火事が多いという。この言い習わしには確たる根拠はないようだが、日頃から注意を怠らないようにしたいものだ。 (天 鷲)
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